そういえば昔…

2006年9月7日 読書
東京に行ったとき、つい我慢しきれずに買ってしまった。

『東京タワー』。

文庫化されるまで待とうと思って、ずっと我慢してたのにッ…!





この本の感想を書くわけではないが、この本の中で筆者が自身の幼い頃と母親について色々と書き綴っていた部分を読んで、ふと、とある少年のことを思い出した。







―少年H―







彼は小学校の頃どんな少年だったかというと、ファミコンが好きで、兄を恐れ、三人兄弟の中ではいわゆる落ちこぼれだった。
勉強はそっちのけでガキ大将といつもつるんでおり、しかも、およそ学校の先生がよく口にするありきたりの精神論を鼻で笑うような、まさに教師の目の敵であった。

例えば、道徳の時間に先生が
「命の次に大切なものは何ですか?」
と問えば、「友達」や「家族」などといった、先生が期待している答えそっちのけで、迷わず
「ファミコン!」
と答えるような、どうしようもない悪ガキであった。
もちろん、本人は友達の大切さはよく分かっていたのだが、そんなわかりきったことを質問する先生をからかおうとして、いつもそういう言動をとるのだった。

そんなことばかりしていたから、少年の家には何度か学校からチクりの電話がかかってきた。
少年は、そのたびに両親から怒られた。




そう、両親から怒られることも、少年が最も恐れていたことの一つであった。
少年は、兄弟と比べられて怒られるのが特にイヤだった。
兄弟と遜色ないのは走ることだけで、少年にとってはそれだけが救いだった。

両親は少年をよく叱ったが、といっても父親はあまり口出ししなかった。
だから、少年は父親から殴られたことは一度しかない。





少年は母親によく叱られた。





母親が特に少年を叱るときというのは、終業式の日であった。

少年の通信簿には、5段階評価でいつも3と2しか書いてなかった。
母親はそれを見て、いつも怒った。

少年の昼飯そっちのけで少年に正座をさせ、いつも3時間ほど叱った。
少年は、また兄弟と比べられて怒られているということや、何より母親のヒステリックな怒声が嫌で嫌で、毎回泣いた。
母親が叱るのをやめるのは、父親が午後の休憩で家に引き上げてきた際に母親をなだめたときだと、相場が決まっていた。





小学四年生の三学期の終業式の日。
少年はまたしても2と3しかない通信簿をもらった。





(またあのヒステリックな声を聞かされるのか…)

憂鬱な気持ちで学校から帰る途中、少年はあることを思いついた。




次の学期から新しい学年になる。

だから、三学期の通信簿は学校に返却しなくていい。

ということは――




なんとなんと…

少年は通信簿の「2」と「3」を修正液で消し、その上に「4」と「5」ばかり書いたのである!
なんということだろう、いわゆる「偽造罪」を彼は犯してしまったのだった。
しかし、当の本人にとってはかなりの「妙策」だったのである。




――三学期の通信簿にどんな細工をしようが構わない。

どうせすぐバレるというのに、少年はその通信簿で母親を納得させようと思っていたのだった。





その通信簿を受け取った母親は、はたして少年の願望通り、何も言わなかった。

しかし、終業式の日に珍しく昼食を食べることができた少年は、全くホッとできなかった。
冷静に考えれば、まず間違いなくバレるし、それゆえ自分が通信簿を偽造したことも問い詰められるはずだった。

だが、母親は何も言わなかった。



少年は、何も言わず洗濯物をたたんでいる母親の顔をちらりと盗み見た。
母親はどこか悲しそうな顔をしていたように見えた。

少年は、そこで初めて自分が重大な過ちを犯したことに気づいたのだった。















その少年の話はここでおしまい。

なぜかというと、その少年はそれから先、それまでと全く違う人生を歩み始めたからである。
つまり、書いてもさほど面白味のないような人生を。
しかし、本人はある意味それでいいと思っているだろう。

悪さばかりして人よりちょっと目立つより、自分と周囲を納得させながら生きた上で人よりちょっと目立つことのほうが数段難しいし、やりがいがありそうだと気づいたのだと思う。











結局、少年を改心させたのは、皮肉なことに母親の沈黙だった。

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