先週の金曜日が実は納車日だったので、仕事帰りにマイカーを取りにいった。
しかし、実は俺、まだ任意保険の申し込み手続きをしている最中なので、結局通勤にはまだ使っていない。
ちなみに任意保険は父の名義を譲り受ける形で加入することになるため、保険料は新しく任意保険に入る場合の半分程度で済むらしい。
父に聞いたところ、手続き完了まで今週一杯かかるらしい。
だから、今週末には俺は堂々と車に乗れるってわけだ。
ああ、待ち遠しい…
さて、この週末はまたまた東京に行ってきた。
もともとは、会社関係の飲み会が土曜日に東京であるということで東京に行ったのだけど、俺としては、ゴールデンウィーク中に会えなかった人と会うのが一番の楽しみだった。
ちなみに、会ったのは大学時代から付き合いのある#と、大学院の研究室の後輩S改めベル。
土曜日はベルの家に泊めてもらったのだ。
よく考えてみれば、この二人に最後にお目にかかってからまだ一月半くらいしか経っていない。
しかし、俺自身は社会人になってからもう数ヶ月は経っているような気分だった。
それゆえ、会う楽しみも倍増していたんだろう。
そして、二人とも元気そうでなによりだった。
#は、最近数学について考えを改めたらしい。
つまり、それまでは数学というものを嫌っていたのだが、最近数学の面白さに彼なりに気付いたらしいのだ。
#のように大人になってから数学の面白さに気付く人は少なくないのではないかと俺は思う。
というのも、俺の姉もそうだからだ。
学生時代に文系だった人がなぜ大人になってから数学の面白さに気付くのか…それを考察することもまた面白い。
ただし、ここでいう数学の面白さとは、ただ単純に難問を解くときの快感ではなく、どんな定理がどのような背景を持って生まれてきたのか、あるいは偉大な数学者の思考・私生活とはどのようなものであったか、はたまた、一見何の価値もないように見える数が実はある秩序を持った数であり、そのことを知った途端その数が美しく見え出す、そのときの感動…そういうものだろう。
ここで一つ、奇妙な偶然を紹介しておこう。
方程式の答えを「解」という。
これは誰しも知っているだろう。
ちなみに答えるときは、「x=○○」という風に答える。
つまり、「x」は方程式の「解」なわけだ。
さて、英語のアルファベットはギリシャ文字に由来するものであることは御存じだと思う。
ギリシャ語のαは英語のaになったし、βはbになった。
では、英語の「x」のもとになったのは…?
それは「χ」だ。
「χ」は「カイ」と読む。
「x」(エックス)と非常によく似ている。
ちなみに、方程式の答えである「解」も「カイ」と発音する。
つまり、方程式の「解」は「カイ」と発音するが、「カイ」はギリシャ文字では「χ」と書き「x」のもとになったものである…
だから、方程式の「答え」というのではなくて、方程式の「解」と言うんだろうか?
俺は中学時代に、「なぜ『方程式の「答え」』と言わずに『方程式の
「解」』と言うんだろう?」という疑問を持ち、この考えに至ったのだけど、果たしてこの偶然は必然だったんだろうか?
最初に『方程式の「解」』と言い出した人に聞いてみたいもんだ。
しかし、実は俺、まだ任意保険の申し込み手続きをしている最中なので、結局通勤にはまだ使っていない。
ちなみに任意保険は父の名義を譲り受ける形で加入することになるため、保険料は新しく任意保険に入る場合の半分程度で済むらしい。
父に聞いたところ、手続き完了まで今週一杯かかるらしい。
だから、今週末には俺は堂々と車に乗れるってわけだ。
ああ、待ち遠しい…
さて、この週末はまたまた東京に行ってきた。
もともとは、会社関係の飲み会が土曜日に東京であるということで東京に行ったのだけど、俺としては、ゴールデンウィーク中に会えなかった人と会うのが一番の楽しみだった。
ちなみに、会ったのは大学時代から付き合いのある#と、大学院の研究室の後輩S改めベル。
土曜日はベルの家に泊めてもらったのだ。
よく考えてみれば、この二人に最後にお目にかかってからまだ一月半くらいしか経っていない。
しかし、俺自身は社会人になってからもう数ヶ月は経っているような気分だった。
それゆえ、会う楽しみも倍増していたんだろう。
そして、二人とも元気そうでなによりだった。
#は、最近数学について考えを改めたらしい。
つまり、それまでは数学というものを嫌っていたのだが、最近数学の面白さに彼なりに気付いたらしいのだ。
#のように大人になってから数学の面白さに気付く人は少なくないのではないかと俺は思う。
というのも、俺の姉もそうだからだ。
学生時代に文系だった人がなぜ大人になってから数学の面白さに気付くのか…それを考察することもまた面白い。
ただし、ここでいう数学の面白さとは、ただ単純に難問を解くときの快感ではなく、どんな定理がどのような背景を持って生まれてきたのか、あるいは偉大な数学者の思考・私生活とはどのようなものであったか、はたまた、一見何の価値もないように見える数が実はある秩序を持った数であり、そのことを知った途端その数が美しく見え出す、そのときの感動…そういうものだろう。
ここで一つ、奇妙な偶然を紹介しておこう。
方程式の答えを「解」という。
これは誰しも知っているだろう。
ちなみに答えるときは、「x=○○」という風に答える。
つまり、「x」は方程式の「解」なわけだ。
さて、英語のアルファベットはギリシャ文字に由来するものであることは御存じだと思う。
ギリシャ語のαは英語のaになったし、βはbになった。
では、英語の「x」のもとになったのは…?
それは「χ」だ。
「χ」は「カイ」と読む。
「x」(エックス)と非常によく似ている。
ちなみに、方程式の答えである「解」も「カイ」と発音する。
つまり、方程式の「解」は「カイ」と発音するが、「カイ」はギリシャ文字では「χ」と書き「x」のもとになったものである…
だから、方程式の「答え」というのではなくて、方程式の「解」と言うんだろうか?
俺は中学時代に、「なぜ『方程式の「答え」』と言わずに『方程式の
「解」』と言うんだろう?」という疑問を持ち、この考えに至ったのだけど、果たしてこの偶然は必然だったんだろうか?
最初に『方程式の「解」』と言い出した人に聞いてみたいもんだ。
コメント
一応、そちらのブログにも目を通したよ。
しかし、久々に君の長文日記を読むと何か嬉しいね。
コバはやっぱそうじゃなくっちゃ!