8月3日の日記

2005年8月3日 笑い
幸運なことに、俺は今まで「なぜ自分が生きているのか」ということについてあまり考えたことがない。
「生きる意味」ということを。

そこで、少し考えてみた。
が、なぜ生きているのかなんてことを考えても、生まれてきたものは仕方ない、くらいしか考えられない。



そもそも、自分で考える「生きる意味」というものは自己満足にしか過ぎないと思う。

例えば、「自分はこの人と結婚するために生まれてきたんだ!」と思うほどの恋に落ちても、相手がそう思っていない可能性が高い。
この時点で既に自己満足ではないか。
たとえ相思相愛であったとしても、その後何があるか分からないしね。
別れの時がきたら、「自分はこの人と結婚するために生まれてきたんだ!」という言葉は意味をなさない。
でも、結局また「自分は〜〜のために生まれてきたんだ!」と思うのだろう。

つまり、自分で考える「生きる意味」なんて一時の気の迷いに過ぎないのではないか。



あぁそうだ、なぜ俺は今まで「なぜ自分が生きているのか」ということを考えたことがなかったのか分かった。
それは、「なぜ自分は生きているんだろう?」と自問する人に嫌悪感を抱くからだ。

そういう人は「お前は生きている意味がないから死ね」と言えば死ぬんだろうか。
「お前は〜〜のために生きているんだよ」と言えば、満足するのだろうか。
結局、自分が存在することに対して何らかの理由付けがあれば安心する、ということだろう。

俺はたいていの非建設的な思想を否定はしないが、「生きる意味」を考えることに対しては否定的である。



生まれてきちまったもんは仕方ねぇんだよ。
価値ある「生きる意味」なんて、自分じゃ分からないんじゃないか。
「なぜ生きているのか」なんてことを考えるより、「どうやって生きていこうか」ということを考えたほうがよっぽどいいと思う。

その点においては、俺は楽観的である。

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