ジキルです。
今日は麻雀の由来について書き綴ってみるか。
中国ではその昔、麻雀を占いに用いていたという。
ちなみに、日本に麻雀が伝わったのは明治時代だったと思う。
まず、麻雀の牌の種類というと、日本に伝わったときには既に
・萬子(ワンズ)9×4=36枚
・索子(ソーズ)9×4=36枚
・筒子(ピンズ)9×4=36枚
・三元牌[白(ハク)・發(ハツ)・中(チュン)]3×4=12枚
・風牌[東(トン)・南(ナン)・西(シャ)・北(ペー)]4×4=16枚
・花牌[春・夏・秋・冬]各2枚ずつで計8枚
の枠におさまっており、このうち花牌は普通は使用されない。
ちなみに、白はそのまんま白色を表すとして、文字色からして發は青色、中は赤色を示す。
というわけで、現在の麻雀で用いられる牌の数は全部で
36×3+12+16=136枚
ということになる。
萬子・索子・筒子をひっくるめて数牌(シューパイ)といい、三元牌・風牌・花牌をひっくるめて字牌(ツーパイ)というが、数牌と字牌には密接な関係がある。
一つ一つ説明していくことにしよう。
まず数牌の萬子。
この「萬」という字は、実は龍の爪を表している。
「萬」の下半分と「爪」という字が似てるように見えなくもない。
では、索子はどうだろう。
索子の牌には棒みたいなのがズラズラ並んでいるが、それは実は一本一本が木を示している。
つまり、索子は林を表す牌であり、竹林の中にひそむ虎を暗に思わせるものなのである。
んじゃあ、筒子はどうなのかというと、とある鳥の羽の模様に由来すると言われている。
さて、聡明な方ならばもうお気づきかもしれないが、風水等の知識を用いると
・萬子→青龍→青→發(ハツ)→東(トン)→春
・索子→百虎→白→白(ハク)→西(シャ)→秋
・筒子→朱雀→赤→中(チュン)→南(ナン)→夏
となる。
このように、数牌は字牌と密接な関係にあるのだ。
しかし、これだと疑問が生じる。
上のように考えると、北(ペー)とか冬とか仲間はずれかよ!と思うはずである。
そう、実は古来中国の麻雀においては、月子(呼び方不明)と玄武牌というものが存在していたのである。
月子というのは、黒い三日月が牌に描かれている数牌のことである。
その三日月自体は、玄武の甲羅の丸みを表すものであり、玄武と言えば風水でいうと、四神(玄武・朱雀・青龍・白虎)の中では北および冬をしめすものである。
つまり、三元牌と同じ立場である玄武牌なるものを導入すると、
・月子→玄武→玄武牌→北(ペー)→冬
となるのである。
さて、ここまでで牌の説明は終わるとして、次はどうやって占いをしていたのかを説明しよう。
時は紀元前。
中国にはいくつもの小国が存在し、頻繁に戦が起こっていた時代である。
そのようなご時世において、麻雀は国勢を占うものとして使われていた。
まず占い師達は四角い卓の周りに4人座り、誰がどの方位なのかを決める。
さて、この方位なのだが、これに関しては現在と同じで誰かを起点にして反時計回りに東南西北とする。
ここで一つ注意してほしいのは、この方位である。
普通の地図などで考えれば、時計回りに東南西北である。
しかし、麻雀においては今も昔も反時計回りに東南西北である。
なぜこのように、通常とは反対の方位なのかというと、麻雀の卓を宇宙と見なしているからである。
小・中学校の理科の天体分野の話を思い出せば納得できるかと思うが、下から空を見上げた場合にはちゃんと反時計回りに東南西北と並ぶ。
これが嘘だと思うのならば、次の話で納得してもらえるだろう。
麻雀では、基本的に牌を一枚ツモって一枚捨てていくが、この牌を捨てる場所を「河(ホー)」と呼ぶ。
河とは何ぞや?と思うかもしれないが、これは紛れもなく天の川のことである。
これは、卓を宇宙と見立てていることの裏づけとなろう。
さて、占い師達は、現在とルール等は違うかと思うが、牌をツモり、河に捨て、和了り(あがり)、麻雀をやったのであろう。
現在の麻雀と最も異なる点は、彼らからしてみれば、麻雀とは四神の争いなのである。
玄武(玄武牌)・朱雀(中)・青龍(發)・白虎(白)は、それぞれ手下(数牌)と己の武器(風牌・花牌)をもって戦うのである。
占い師達は、どれか一つの四神の勢力を強めて他を圧倒することもできるし(混一色(ホンイツ)、清一色(チンイツ)みたいな感じ)、四神を協力させて皆をひれ伏させることもできる(大三元とか、字一色(ツーイーソー)とか、大四喜(ダイスーシー)とか)。
あえて言っておくが、四神は何の象徴であるかというと、玄武=北の国、朱雀=南の国、青龍=東の国、白虎=西の国である。
つまり、四神の争いは近隣諸国との戦を示す。
また、昔は大三元ではなく大四元という役だったらしい。
で、そんな感じで麻雀をやり、例えば西家(シャーチャ:西の方位に座っている人)が大四元で和了った(あがった)とすれば、「西方で戦が起こり、その付近の国々は統合され、巨大な国となるであろう」という感じで占われるのである。
麻雀の由来については大体書き終えたが、一つ最大の疑問がまだ残っている。
それは、一体いつから月子と玄武牌がなくなったのかである。
それに関する有力な説としては、「三強(魏・呉・蜀)の時代(三国志の頃)になると、麻雀による占いでは四神よりも国の数が少なくなったため」である。
もう一度断っておくが、四神とは国の象徴である。
魏・呉・蜀の三国しかないのに、国の象徴となる神が4つもあるのはおかしいから、四神のうち一つを削除したのである。
つまり、それが玄武牌であり、玄武牌に関係する月子も消滅したのだ。
ただし、方位は四つないとおかしいし、季節も四つあるべきだということで、北と冬は残った。
さて、以上で大体書きたいことは書いた。
納得していただけただろうか?
あぁそうだ、最後にもう一つだけ注意してもらいたいことがある。
それは、
今までダラダラ説明したことは、俺の単なる妄想であるので鵜呑みにしないでほしい
ということである。
今日は麻雀の由来について書き綴ってみるか。
中国ではその昔、麻雀を占いに用いていたという。
ちなみに、日本に麻雀が伝わったのは明治時代だったと思う。
まず、麻雀の牌の種類というと、日本に伝わったときには既に
・萬子(ワンズ)9×4=36枚
・索子(ソーズ)9×4=36枚
・筒子(ピンズ)9×4=36枚
・三元牌[白(ハク)・發(ハツ)・中(チュン)]3×4=12枚
・風牌[東(トン)・南(ナン)・西(シャ)・北(ペー)]4×4=16枚
・花牌[春・夏・秋・冬]各2枚ずつで計8枚
の枠におさまっており、このうち花牌は普通は使用されない。
ちなみに、白はそのまんま白色を表すとして、文字色からして發は青色、中は赤色を示す。
というわけで、現在の麻雀で用いられる牌の数は全部で
36×3+12+16=136枚
ということになる。
萬子・索子・筒子をひっくるめて数牌(シューパイ)といい、三元牌・風牌・花牌をひっくるめて字牌(ツーパイ)というが、数牌と字牌には密接な関係がある。
一つ一つ説明していくことにしよう。
まず数牌の萬子。
この「萬」という字は、実は龍の爪を表している。
「萬」の下半分と「爪」という字が似てるように見えなくもない。
では、索子はどうだろう。
索子の牌には棒みたいなのがズラズラ並んでいるが、それは実は一本一本が木を示している。
つまり、索子は林を表す牌であり、竹林の中にひそむ虎を暗に思わせるものなのである。
んじゃあ、筒子はどうなのかというと、とある鳥の羽の模様に由来すると言われている。
さて、聡明な方ならばもうお気づきかもしれないが、風水等の知識を用いると
・萬子→青龍→青→發(ハツ)→東(トン)→春
・索子→百虎→白→白(ハク)→西(シャ)→秋
・筒子→朱雀→赤→中(チュン)→南(ナン)→夏
となる。
このように、数牌は字牌と密接な関係にあるのだ。
しかし、これだと疑問が生じる。
上のように考えると、北(ペー)とか冬とか仲間はずれかよ!と思うはずである。
そう、実は古来中国の麻雀においては、月子(呼び方不明)と玄武牌というものが存在していたのである。
月子というのは、黒い三日月が牌に描かれている数牌のことである。
その三日月自体は、玄武の甲羅の丸みを表すものであり、玄武と言えば風水でいうと、四神(玄武・朱雀・青龍・白虎)の中では北および冬をしめすものである。
つまり、三元牌と同じ立場である玄武牌なるものを導入すると、
・月子→玄武→玄武牌→北(ペー)→冬
となるのである。
さて、ここまでで牌の説明は終わるとして、次はどうやって占いをしていたのかを説明しよう。
時は紀元前。
中国にはいくつもの小国が存在し、頻繁に戦が起こっていた時代である。
そのようなご時世において、麻雀は国勢を占うものとして使われていた。
まず占い師達は四角い卓の周りに4人座り、誰がどの方位なのかを決める。
さて、この方位なのだが、これに関しては現在と同じで誰かを起点にして反時計回りに東南西北とする。
ここで一つ注意してほしいのは、この方位である。
普通の地図などで考えれば、時計回りに東南西北である。
しかし、麻雀においては今も昔も反時計回りに東南西北である。
なぜこのように、通常とは反対の方位なのかというと、麻雀の卓を宇宙と見なしているからである。
小・中学校の理科の天体分野の話を思い出せば納得できるかと思うが、下から空を見上げた場合にはちゃんと反時計回りに東南西北と並ぶ。
これが嘘だと思うのならば、次の話で納得してもらえるだろう。
麻雀では、基本的に牌を一枚ツモって一枚捨てていくが、この牌を捨てる場所を「河(ホー)」と呼ぶ。
河とは何ぞや?と思うかもしれないが、これは紛れもなく天の川のことである。
これは、卓を宇宙と見立てていることの裏づけとなろう。
さて、占い師達は、現在とルール等は違うかと思うが、牌をツモり、河に捨て、和了り(あがり)、麻雀をやったのであろう。
現在の麻雀と最も異なる点は、彼らからしてみれば、麻雀とは四神の争いなのである。
玄武(玄武牌)・朱雀(中)・青龍(發)・白虎(白)は、それぞれ手下(数牌)と己の武器(風牌・花牌)をもって戦うのである。
占い師達は、どれか一つの四神の勢力を強めて他を圧倒することもできるし(混一色(ホンイツ)、清一色(チンイツ)みたいな感じ)、四神を協力させて皆をひれ伏させることもできる(大三元とか、字一色(ツーイーソー)とか、大四喜(ダイスーシー)とか)。
あえて言っておくが、四神は何の象徴であるかというと、玄武=北の国、朱雀=南の国、青龍=東の国、白虎=西の国である。
つまり、四神の争いは近隣諸国との戦を示す。
また、昔は大三元ではなく大四元という役だったらしい。
で、そんな感じで麻雀をやり、例えば西家(シャーチャ:西の方位に座っている人)が大四元で和了った(あがった)とすれば、「西方で戦が起こり、その付近の国々は統合され、巨大な国となるであろう」という感じで占われるのである。
麻雀の由来については大体書き終えたが、一つ最大の疑問がまだ残っている。
それは、一体いつから月子と玄武牌がなくなったのかである。
それに関する有力な説としては、「三強(魏・呉・蜀)の時代(三国志の頃)になると、麻雀による占いでは四神よりも国の数が少なくなったため」である。
もう一度断っておくが、四神とは国の象徴である。
魏・呉・蜀の三国しかないのに、国の象徴となる神が4つもあるのはおかしいから、四神のうち一つを削除したのである。
つまり、それが玄武牌であり、玄武牌に関係する月子も消滅したのだ。
ただし、方位は四つないとおかしいし、季節も四つあるべきだということで、北と冬は残った。
さて、以上で大体書きたいことは書いた。
納得していただけただろうか?
あぁそうだ、最後にもう一つだけ注意してもらいたいことがある。
それは、
今までダラダラ説明したことは、俺の単なる妄想であるので鵜呑みにしないでほしい
ということである。
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