12月21日の日記

2004年12月21日 笑い
ジキルです。

現在、12/21 3:55。
眠れない。
あの夜から。
気が狂いそうだ。

またまた久々の日記になってしまった。
この間何があったのかを覚えている限り書き綴ろうと思う。

12/7の夜、帰宅して風呂に入った後、急に息苦しくなった。
ついにきたか、と思った。
気胸再発。

しかし耐えれない苦しさではなかった。
前回味わったような痛みはなかった。
お約束で咳が出た。
どうしようかと一時混乱した。
酸素を必死に体に取り込むように体を丸くしてどうすべきか考えた。
とりあえず夜明けを待つことにした。

この夜から俺は熟睡できてない。
夢は見る。しかし熟睡とは言えない。

その翌日、入院することが予想できていたから、
部屋をきれいに掃除して家を出た。
でも、入院したくないという思いから入院グッズは持たなかった。
というより、それを持って歩くほどの気力もなかったのかもしれない。

必死に歩いて駅について、電車に乗って、キャンパスの保健センターに向かった。
電車の中は地獄だった。
救急車を呼んだほうがやっぱり良かったな、と後悔した。

保健センターに着いて医師に診てもらうと、すぐに近くの総合病院に運ばれた。
前回入院した病院とは違う病院だった。

外来の診察室でとある医師に診てもらった。
撮ったばかりのレントゲンの写真を見ると、
肺がありえないくらいに収縮していた。

医師は俺に、
2度目の気胸は基本的に手術を適用するのだが、どうするか?
と尋ねた。
俺は迷わず
手術してください。今すぐにでも。
と答えた。
その場で手術の日程が決まった。
二日後の午後に。

これ以上学校の研究や講義に支障が出るのは致命的だと思っていた。
手術するかどうかで迷っている暇はなかった。
だから即答した。

まずは手術の前に、肺を広げなければならないということで、
前回の治療と同様の胸空(?)ドレナージ(胸に穴をあけて管を通し、
漏れた空気を体外に出す治療法)を行った。
が、この時胸に穴をあけて管を入れた医師(おそらく研修医)がよほど
下手だったのだろう、麻酔が切れてからの痛みは半端じゃなかった。
前回この治療を行った時には、一日も立てば自分で歩き回れるくらいになったのに、
今回は歩くどころか、食事すら無理だった。
寝ていれば食欲もあったが、体を起こすと食欲が失せるくらいの痛みだった。
この痛みは手術前まで続いた。
おかげで食事をほとんど摂らなかったので、手術前まででかなり痩せたと思う。
ちなみに、この痛みのせいで俺は手術前ほとんど寝ていない。
全くくそったれな医師に管通されたものだ。
ホント一生恨むぞ、あの名も知らぬ医師を。

12/9金曜日の昼、手術が行われた。
まず手術室に行く前に、鼻から喉まで管を通された。
これがありえないくらいきつかった。
あまりに辛くて涙が出た。
この管を入れておかないと、食道を上がってきた胃液を吸いだせず、
胃液が肺に入ってしまうらしい。

で、移動用ベッドに移って、睡眠薬が効きやすくなるための注射を尻にもらった。
これでかなりクラクラきた。
睡眠薬を投与されなくても寝れそうだった。
そして手術室に運び込まれた。

手術室に入ると、音楽がかけられていた。
患者が好きな音楽を手術中にかけることができるらしかったが、
俺は特に注文しなかったので、適当にノリの良い、明るめの曲がかけられていた。

それじゃあ、睡眠薬を点滴で落としまーす。
と言われ、睡眠薬が投与された。
それが点滴の管を通って俺の体に入り込んだ途端、意識が吹っ飛んだ。

気が付くと、俺はどうやらICUの中にいるらしかった。
目の前の壁に時計がかかっており、それで時刻が午前1時頃なんだと分かった。
およそ12時間意識がなかったことになる。
酸素マスクをつけられてて、えらく体が熱かった。
目覚めてしばらく経って、
あぁ、生きてる
って思った。
俺が意識を取り戻したのに看護師が気付いて話し掛けてきた。
でも、何を言われたのかは覚えてない。

手術の合併症を防止するために、ベッドの上で俺は色々やらなければならなかった。
一番きつかったのがタンを吐き出すことだった。
タンが肺に入り込んでしまうと肺炎になるので、
自力で出さなければならなかった。
傷口を押さえてちょっとずつ咳こんでタンを吐き出すのだが、
ちょっとでも普通に咳こんでしまうと、
腹筋から肺にかけて電流が走ったみたいに激痛が走った。

看護師に、
咳していいんですか?
と聞くと、
大丈夫ですよ。
と言われたので、かなりの恐怖を伴いながら俺はせっせとタンを吐いた。
俺は煙草を吸わない人間なので、タンはさほど出なかったらしい。

強制的に寝返りをうたせられるのだが、これもひどかった。
傷口の痛みは半端じゃなかった。
やっぱり手術されたんだよなぁ、俺。
と思いつつなんとかかんとか朝日を拝んだ。

その日の昼、俺は一般病棟に戻った。
心臓病などに比べればどうってことない手術だが、
俺的には
生還しました!
って感じだった。

―続く―

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