ジキルです。
気分転換に、久々に昔のゲームのことでも書き綴ろうかと思う。
俺が人生で初めてやったゲームは、ファミコンの『スパルtンX』だった。
たしか俺が幼稚園の年長組だったときに兄貴が親から買ってもらったもので、
当時の俺はそのゲームの敵キャラの笑い声を聞くだけでガクブルしてたものだった。
俺の記憶が正しければ、俺は怖くて何度かそれで泣いたことがある。
ちなみに余談だが、幼い頃に見た『セサミストリーt』のバートを見て
泣いたこともある(笑)
あんなデカい鳥がわけわからない言葉喋ってたら怖いって(笑)
不思議なことに、俺と兄貴は『スーpーマリオ』はやらなかった。
当時は既にマリオブームだったが。
その『スパルtンX』の次にやったゲームは『ドラゴンクエスt』だった。
ひょっとしたら、スパルtンXとドラクエの間にいくつかゲームを
やっていたのかもしれないが、記憶にあるのはドラクエのみだ。
当時のドラクエは復活の呪文(パスワード)方式だったため、
兄貴は俺がドラクエをやっても何も言わなかった。
セーブデータなんて無かったから、
兄貴のデータで俺がやるということは不可能だった。
もっとも、俺は当時小学1年くらいでRPGの仕組みがよく理解できておらず、
Lvが上がってもそれが何なのか良くわからなかったし、
スイッチを切るとまた最初からだったので、
俺はなんだかよく分からないそのゲームを嫌いになった。
そうそう、『ドラゴンクエスt』では人に話しかけるときに
「きた みなみ ひがし にし」の中から方位を選ばなければならず、
当時東西南北なんて知らなかった俺は、町の人と話すのも一苦労だった。
それから小学3年くらいまでは、さほどゲームすることはなかったと思う。
ひょっとしたら色々やったのかもしれないが、記憶にない。
小学3年の頃、兄貴があるゲームソフトを買ってきた。
それが『ドラゴンクエスt3』である。
俺はあまりゲームする気はなかったのだが、
とりあえず兄貴が友達を家に呼んで一緒にやってるのを見て、
初めてドラクエって面白そうだな、と思った。
しかし、ドラクエ3からはセーブデータ方式だったため、
俺は当分ドラクエ3をやれなかった。
でも、見てるだけで十分面白かった。
時々金策とLv上げを俺がすることがあったが、あの時は嬉しかったなぁ。
一番面白かったのは、やっぱりラスボスのゾーマとの戦闘だ。
兄貴は何度もゾーマに負けていた。
友達と一緒に「またかー」って叫んでたな。
正直、俺もコイツには勝てねぇと思った。
でも、そんなに何度も負けていたのは理由がある。
なんと、兄貴は光の玉でゾーマが格段に弱くなることを知らなかった。
もちろん、その当時の俺も光の玉の存在意義なんて知るわけもなく。
ファミコン版のドラクエ3には色々バグ技があるのだが、
もちろんそんなことを知らなかった純粋な少年達。
パーティの構成は戦士・勇者・僧侶・賢者だったが、
どうしても賢者がもう一人必要だということで、
わざわざ遊び人のLvを上げて賢者に転職させ、再び戦いに挑んだ。
もちろん光の玉無しで(笑)
また、この時兄貴達は自力で「防御戦闘」を発見していた。
(ファミコン版のドラクエ3では、
戦闘時のコマンド入力の際に三人目まで全員「ぼうぎょ」を選択し、
それから三人ともコマンドキャンセルして「たたかう」を選んでも、
三人目まではキャンセルしたはずの「ぼうぎょ」の効果が発動する)
そうやって半ばバグ技を使いつつも、
光の玉を使わないという作者の意に沿わない方向でゾーマを倒した時の感動は、
俺のRPG人生の扉を開ける原動力になった。
俺がドラクエ1、2をクリアしたのは、ドラクエ3をクリアした後だった。
奇しくも、このクリアした順番はドラクエ1〜3の壮大なストーリーと
一致していたことは、当時はもちろん知らなかった。
気分転換に、久々に昔のゲームのことでも書き綴ろうかと思う。
俺が人生で初めてやったゲームは、ファミコンの『スパルtンX』だった。
たしか俺が幼稚園の年長組だったときに兄貴が親から買ってもらったもので、
当時の俺はそのゲームの敵キャラの笑い声を聞くだけでガクブルしてたものだった。
俺の記憶が正しければ、俺は怖くて何度かそれで泣いたことがある。
ちなみに余談だが、幼い頃に見た『セサミストリーt』のバートを見て
泣いたこともある(笑)
あんなデカい鳥がわけわからない言葉喋ってたら怖いって(笑)
不思議なことに、俺と兄貴は『スーpーマリオ』はやらなかった。
当時は既にマリオブームだったが。
その『スパルtンX』の次にやったゲームは『ドラゴンクエスt』だった。
ひょっとしたら、スパルtンXとドラクエの間にいくつかゲームを
やっていたのかもしれないが、記憶にあるのはドラクエのみだ。
当時のドラクエは復活の呪文(パスワード)方式だったため、
兄貴は俺がドラクエをやっても何も言わなかった。
セーブデータなんて無かったから、
兄貴のデータで俺がやるということは不可能だった。
もっとも、俺は当時小学1年くらいでRPGの仕組みがよく理解できておらず、
Lvが上がってもそれが何なのか良くわからなかったし、
スイッチを切るとまた最初からだったので、
俺はなんだかよく分からないそのゲームを嫌いになった。
そうそう、『ドラゴンクエスt』では人に話しかけるときに
「きた みなみ ひがし にし」の中から方位を選ばなければならず、
当時東西南北なんて知らなかった俺は、町の人と話すのも一苦労だった。
それから小学3年くらいまでは、さほどゲームすることはなかったと思う。
ひょっとしたら色々やったのかもしれないが、記憶にない。
小学3年の頃、兄貴があるゲームソフトを買ってきた。
それが『ドラゴンクエスt3』である。
俺はあまりゲームする気はなかったのだが、
とりあえず兄貴が友達を家に呼んで一緒にやってるのを見て、
初めてドラクエって面白そうだな、と思った。
しかし、ドラクエ3からはセーブデータ方式だったため、
俺は当分ドラクエ3をやれなかった。
でも、見てるだけで十分面白かった。
時々金策とLv上げを俺がすることがあったが、あの時は嬉しかったなぁ。
一番面白かったのは、やっぱりラスボスのゾーマとの戦闘だ。
兄貴は何度もゾーマに負けていた。
友達と一緒に「またかー」って叫んでたな。
正直、俺もコイツには勝てねぇと思った。
でも、そんなに何度も負けていたのは理由がある。
なんと、兄貴は光の玉でゾーマが格段に弱くなることを知らなかった。
もちろん、その当時の俺も光の玉の存在意義なんて知るわけもなく。
ファミコン版のドラクエ3には色々バグ技があるのだが、
もちろんそんなことを知らなかった純粋な少年達。
パーティの構成は戦士・勇者・僧侶・賢者だったが、
どうしても賢者がもう一人必要だということで、
わざわざ遊び人のLvを上げて賢者に転職させ、再び戦いに挑んだ。
もちろん光の玉無しで(笑)
また、この時兄貴達は自力で「防御戦闘」を発見していた。
(ファミコン版のドラクエ3では、
戦闘時のコマンド入力の際に三人目まで全員「ぼうぎょ」を選択し、
それから三人ともコマンドキャンセルして「たたかう」を選んでも、
三人目まではキャンセルしたはずの「ぼうぎょ」の効果が発動する)
そうやって半ばバグ技を使いつつも、
光の玉を使わないという作者の意に沿わない方向でゾーマを倒した時の感動は、
俺のRPG人生の扉を開ける原動力になった。
俺がドラクエ1、2をクリアしたのは、ドラクエ3をクリアした後だった。
奇しくも、このクリアした順番はドラクエ1〜3の壮大なストーリーと
一致していたことは、当時はもちろん知らなかった。
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